和訳(3つの記事のサマリ。長文)追加しました。


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(8月1日)
プリンスが所属レーベルがなく、苦労していたボニー・レイットに支援を申し出ていたとは知りませんでした!感動。ボニーのことを尊敬していたのですね

Prince Honors Old Frience Bonnie Raitt with 'Eye Can't Make U Love Me': 365 Prince Songs in a Year
 〜 Diffuser  July 30, 2017

Bonnie Raitt returns to Minnesota, a place she considers her 'second home'
 〜 StarTribune  September 1, 2016

Bonnie Raitt Starts Over, In Minnesota With Prince
 〜 Chicago Tribune  August 27, 1987


人生を再出発したいなら、時には始まりの場所に戻るのがベストである。

ボニー・レイットはブロードウェイスター、ジョン・レイットの娘として生まれ、ロサンゼルスで育った。9歳でギターを始め、1967年にラドクリフ・カレッジに入学してからは、ボストンのフォークや ブルース・シーンに惹きつけられた。ソリストとして4年間クラブ回りをした後、ワーナーブラザーズ・レコードと契約した。

レイットは長年ミネソタを第二の故郷と考えていた。 1971年にミネトンカ湖の島にあるフォーク・ブルースマン、デイヴ・デイのスタジオでデビューアルバムをレコーディングし、彼の兄スティーブが30年間ここに住んでいたからだ。そして、ミネソタ大学のコーヒーハウスから仮設遊園地まで、あらゆる施設でライブを行った。

レイットにとってミネソタとは?「ファンクネスへの感謝ね。」

カリフォリニア育ちのブルース/ロック/ポップのベテランは言う。「ミネアポリスの音楽シーンに飛び込んだ時、多くの音楽融合バンドや、ロック、R&B、ブルース、オリジナルのソングライターがいたの。皆がどれだけオリジナルかを見て、私のイメージが覆ったわ。言葉のあらゆる面でファンキーだった。ファッションに興味はなくても、お金を稼ぐことに興味はなくてもね。この多文化が私の中で未だに残っているわ。音楽シーンがどれだけ素晴らしかったかうまく言葉で表せないぐらいよ。」

ファンクと言えば、プリンスは1986年にレイットに連絡をとった。彼女が15年間に及ぶワーナーブラザーズとの関係に終止符を打った後だった。ワーナーに所属していた主に70年代、レイットはアルバムは評価されながらも売れ行きが思わしくない状態が続いたため、ワーナーとの契約を終了することになったのだ。

「この(契約終了する前の)数年間に、私の意志はくじかれたわ。彼らが私をプロモートしてくれなかったから。」最後の5年間では1枚のアルバムしかリリースさせてもらえなかった。「私はいつもレコード会社のために稼いできたわ(彼女のベストセラー「Sweet Forgiveness」は百万枚近く売れた)。ある時点でレーベルから離れるか、不平を言うのを止めるか決めるしかないのよ。」

レイットは 25歳以上でブルースとR&B 志向のロックを演奏するアーティストに対しマーケットはある、と確信を新たにしていた。「ヒットレコードを持っているかどうかの有無にかかわらず、私は大丈夫なんだって決めたの。有名になりたいわけじゃない、でもお店に私のレコードを置いて欲しい。ターゲット客にアプローチできる合理的なマーケティング手法が欲しかったわ。」

80年代中期には所属レーベルがない状態だった。キャリアを再び立て直すためにアルコールを止めたが、そんな1986年11月のある日プリンスから電話があった。 (プリンスはライブも見に行った)

「彼は言ったわ。「君がそんな扱いを受けるのは嘆かわしいよ。ペイズリーパークに来て一緒に曲を作らない?僕は本当に女性アーティストを高く評価しているし、君のことをいつも素晴らしいと思っていたんだ。」(マネージャーが)いくつかレコード会のオファーを物色してたんだけど、私に合うかわからなかった。商業的なダンス・ヒット曲は必ずしもやりたくなかったし、その種の注目を浴びたくなかったからこう言ったわ。「折衷案でお互い譲歩できるならね。あなたにプロデュースされるからって言いなりにはならないし、あなたの遊び場の駒にはなるつもりはないわよ。もし二人で本物のコラボレーションができるなら、やりたいわ。」 

彼らはプロジェクトについて話し合うために2度会い、それから翌1987年4月に彼女はプリンスの自宅にあるスタジオへ行き、3曲レコーディングした。
「彼のアイデアは面白かったわ。とくに、私は政治的でシャイな性格ではないんだけど、彼はそんなに政治的じゃなくて、とてもシャイなところがね。でも私達は両方ともR&Bを演奏するから、曲を聴いてしっくりきたわ。とても良かった。」

プリンスとのセッションは、過去のどのレコーディング経験とも違っていた。
「他のシンガーやギターリストと一緒にコラボするのは素敵なことよ。互いに対して尊敬の念を要するわ。彼のイメージに強引にはめ込まれる危険性はなかったわね。私は十分に強くて賢いから、こう歌えって命令されたりしないもの。私が自分自身に対するほど、彼は要求の多い人ではなかったわ。」

事前にプリンスが曲を書き、インストゥルメンタルでレコーディングし、そこにレイットが歌とリードギターを加えた。3曲のうち2曲はR&Bで、1 曲はレゲエの曲だった。ボニーはボーカルとリード・ギターを務めた。

ミネソタでレコーディングしたのは、16年前の時と同じように気分転換になったとレイットは言う。それはベテランのシンガーが再出発するという理由だけではなかった。スキーで手を怪我したため数年ぶりに長い休暇をとることになり、エクササイズをし、食習慣を変え、パーティーで大騒ぎするのを止め、基本的にライフスタイルを改めるようになったのだ。

しかし数年後、彼女は曲に対して異なる見解を持つようになった。「彼の熱意は有難かった。でも曲は私のキーに合うものじゃなかったし、曲のテーマは歌って心地よいものではなかった。こんな感じだったんだもの。「You can mess me around all over town / But we’re still cool / I like being your fool.」これって私が歌う曲じゃないわ。彼は歌詞について推測していたの。心当たりがあったのよ。曲はすごく気に入ったけど、私はこう言った。「私たち再召集しないとね。... 私が普段歌う時より4段階か5段階キーが低いもの。」

彼らは再召集することはなく、曲は発表されることはなかったのだが。Prince Vaultサイトによると、2曲の詳細がわかっているようだ。「I Need a Man」と「Promise to Be True」はヴァニティ6とのコラボに由来する。前者は1981年にデニス・マシューズ(後にヴァニティ)の前バージョンのグループ、The Hookers のために書かれたもので、後者は2枚目のレコードに収録予定だった。しかしプリンスとマシューズの分裂でグループは終わった。

それでも、ボニーはプリンスと一緒に仕事をした時のことを「とても楽しかった」と言う。「すごく楽しかった。彼は最高だったわ。」

そして、彼らは何年もの間連絡をとり合った。共通の音楽に好みについて話し合った。ステイプル・シンガーズ、スライ・ストーン、アース・ ウィンド&ファイアーなど。
「私たちは連絡をとり合ったわ。」実際彼らは会う日程を再調整した。しかしプリンスがヨーロッパ・ ツアーが入ったため延期した。「彼は決して電話をかけてこなかった。スタッフ達を6週間無職状態にさせてしまったの。」ボニーは思い出す。「電話を一本くれたらよかったのに。」

そして結局は、彼女はプリンスの助けなしでよみがえった。キャピトルレコードと契約を結び、1989 年にリリースしたアルバム「Nick of Time」がビルボードのアルバムチャートで一位になり、グラミー賞で5部門を受賞、5百万枚売れたのだ。デビューしてから18年後、ついに彼女にふさわしいスターダムの地位に登りつめた。

「I Can’t Make You Love Me」は 1991年にリリースされた次のアルバム「Luck of the Draw」に収 録されている。Allen Shamblin とプロのフットボール選手だったMike Reid によって書かれたこの曲について、レイットはこう言う。「これまでに聴いた中で最も正直でオリジナルな心の痛みを歌った曲の一つよ。」「私が両方の立場に立ったことがあるという視点を持つ曲だった。深く胸に響いたわ。」

何百万もの人が彼女と同じ気持ちだったに違いない。ピアノにブルース・ホーンズビーの助けを借り、 この曲はホット100の18位、アダルト・コンテンポラリー・チャートの6位に輝き、アルバム「Luck of the Draw」「Nick of Time」より売れるという幸運に見舞われた。「それはとても大きな意味を持ったわ。あらゆる人種、あらゆる年齢、あらゆる音楽ジャンルの人達が私のところに来て、この曲が彼らにとってどんな意味を持つのか涙ながらに語ったの。音楽的な面で、今までで最高の贈り物よ。」

プリンスのカバー、彼のスタイルで新しいタイトル「Eye Can’t Make U Love Me」(最初は"目"の表 現で)はほんの少しアレンジを加えただけだが、70年代フィラデルフィア・ソウルの味つけをほどこした。 エレクトリック・シタールやバック・ボーカル、エリック・リーズのサキソフォーンやファルセットの揺れ動くリードボーカル(「Emancipation」のセッション中、プリンスはその時代について多くのことを考えていたに違いない。スタイリスティックスの「Betcha By Golly Wow!」もカバーしている)など。

レイットはプリンスのバージョンを「とても美しい」と語っている。ただ一つ、とりわけ70年代に影響を受けた部分、誘惑的な部分が、ボニーのプロデューサー、ドン・ウォズを困惑させた。
「彼は素晴らしいシンガーだし、テクニックも驚くべきものだ。」ウォズは言う。「でも、彼は妖婦になってこう言ってるみたいだよ。「ここにおいで、ベイビー。君を(性的に)興奮させてあげるよ」みたいな感じでね。この曲がどういう曲かわかってなかったんじゃないかな。男がこの曲を歌うのを聞いたことがないよ。もっとも、男がこの曲を歌えるのかどうかわからないけど。」
 

レイットはソウルフルなボーカルとギターのチョッピングで、2000年にロックの殿堂入りした。また、自身のレーベルも立ち上げた。

ボニーは悲しみとは無縁ではない。これまで近親者の死を多く経験した。2004年と2005年に両親を相次いで亡くし、2009年にはツインシティーでサウンド・エンジニア兼プロデューサーとして活躍していた兄を脳腫瘍で亡くした。キャリアの初期の頃にはベテラン・ミュージシャン達の死にも遭遇した。彼女は何年も前に死とどう向き合うかを理解したのだ。

「悲しみを抑えると、肺や気管支に問題が起こるわ。」と彼女は指摘する。「怒りや嫉妬、悲しみを表現しないと、体のある部分が実際に病を引き起こすことがあるの。感情を処理して、外に出すのがいいみたい。私はそうすることにしているわ。」

「誰かを失って深い悲しみに陥ったら、人にメールを書いたり、電話したりして、亡くなった人達が私達にとってどんな意味があったかを共有するといいようよ。プリンスの報道は素晴らしく美しかったから、私達皆の助けになったわ。」

レイットは愛する人達のことを話すのが習慣になっている。とりわけ年上の友人、77歳のメイヴィス・ ステイプルズや90歳のトニー・ベネットのことなどを。

「トニー・ベネット。なんて素晴らしい天の恵み。ポジティビティー(前向き)なメッセージ。トニーは長年の瞑想熟練者よ。彼はOKのセンス、穏やかで、 物事を見通すセンスを持っている。彼は自分の人生を最大限に生きているし、それでいてレールから脱線していない。とても落ち着いていて、私にとって大きな教えよ。」

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ボニー、強くてカッコイイ女性ですね。実力がありながらも下積みの長い、遅咲きのブルース・ミュージシャン&ギターリストということは知っていましたが、プリンスとコラボしていたとは知りませんでした。

アメリカ留学中にシングルカットされた「Nick of Time」がずっとMTVで流れていて、大ブレイクしていました。カッコイイ人だなぁ、と見ていましたが。。いろんな経験をして、素敵に年を重ねていますね。

行きづまっていた彼女に手を差し伸べたプリンスも素敵です。プリンスは女性という存在を賞賛し、敬意を払っていたのでしょうね(もちろんそれだけで済まない時も多かったでしょうが。まぁ、ボニーにそれだけ実力があったからでしょうね、プリンスが声をかけたのも。

自分もピンチの時に人に助けられて道が開けた経験があるので、つい自分の事のように読んでしまいました。気にかけてくれる人がいるだけで、どんなに励みになることか。その後連絡をよこさないのは、ちょっと ツアーに集中してたのよね。

そして、自力で返り咲いたボニーは女の鏡✨
満を持してリリースしたアルバム「Nick of Timeはボニー渾身の作。本当に素晴らしくて、当時ヘビロテしました。Cry On My Shoulder」や「Nobody's Girlとかいい曲だったなぁ。ボニーはギターの腕前も素晴らしく、スライドギターが弾けます。

で、「I Can't Make You Love Me」についてですが、私はボニーの原曲に軍配を上げます。ジョニ・ミッチェルのカバー「Case of You」も断然ジョニ。プリンスのカバーもとても良いですが、なにせ原曲が良すぎる!オリジナルを超えるって本当に難しい。なかなかないんじゃないでしょうか。

ドン・ウォズのコメントにウケた ごもっとも!ドン・ウォズといえば、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデューサーでしたが、いつの間にかブルーノートの社長に就任していたのですね。さすが、やり手

誰かを失ったら、その人を知る人達とその人のことを話して、思いを共有すると良いのですね。確かに。私もブログでいろいろと共有させていただいて、救われているところあります


遅咲きのボニーが大ブレイクした「Nick Of Time」をどうぞ。
歌詞がよくて、しみじみします...
 

両親に会うたびに、少しずつ年をとっていく
自分も年を重ね皺が増えていく いつから人生の選択をするのがこんなに難しくなったんだろう?
時間が尽きていくのがこわい
そんな時あなたが現れて心の扉を開いてくれた...

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(2016年11月6日)
こんにちは
めっきり寒くなりましたね。わけもなく物悲しく、人恋しくなる季節。。。
この曲はいかがでしょうか?

アルバム
Emancipationに入っているカバー曲「I Can't Make U Love Me」
しみじみといい曲ですね。アルバムを適当に飛ばしながら聴いていても(プリンス、ごめん)、名曲は耳に引っかかるんですよね。宝石のような輝きを放っていると言うか。 

オリジナルはブルース系ギタリスト&シンガー、ボニー・レイットの曲。彼女は苦節ン十年の遅咲きアーティストで、アルバムニック・オブ・タイム(名盤)で大ブレイクしました。この曲は、その次のアルバムに入っているようです。

美しいメロディーに報われない恋を歌った歌詞。もろプリンス好みの曲ってカンジ

最近ではアデル、過去に多くのアーティストがカバーしています。
 *曲名で検索すると、歌詞を和訳してくださっている方がいます。

ボニーのバージョンは報われぬ恋を大人の女性が淡々と歌う、まさに"諦観" という言葉がぴったりの切ない曲。
が、愛を乞う人プリンスはそう簡単にはひき下がらない、諦めない。引っ張る、引っ張る(笑)。愛のささやきを新たに挿入して、情感たっぷりに歌い上げています。なかなか良いですね

(ささやき部分を一部抜粋)

君に愛してもらうなんてこと、できない。だって君にそんな気はないんだから

おいで、ベイビー
どこにキスして欲しい?教えて。どうして欲しいの?
このベッドルーム/教会で
僕の申し出を当ててみて

君にセクシュアルな関係を申し出るよ
(でも、君にその気はないんだね)
どう、ベイビー?僕の動きは早過ぎる?
君の最初の男であるだけでなく、最後の男になりたい。最後の男に
それって悪いことかな?

僕を愛して欲しい
おいで、僕のハートを差し出すよ
本物の恋なんだ。成就させたいんだ
でも、君は僕を愛することはできないんだね
僕はどうしたらいいの?何ができるの?

愛して欲しい
キスして欲しい、ダーリン
愛しておくれ
僕は... 君に... わかるだろう?
愛して欲しいんだ
Do U love me? 僕を愛してる?) 

わ〜〜、日本語にすると小っ恥ずかしい〜〜


隠し味のスパイスとして、さりげなく"女性の喘ぎ声"を入れているところも、さすが。
そして最後に、プリンスの大きな溜め息で終わる。
これだけ僕は愛してるのに君は愛してくれないんだね、、ってとこでしょうか。
プリンス劇場を堪能しました

あえて、ボニー・レイットのオリジナルバージョンをどうぞ。
ここだけの話、プリンスのバージョンもネットにアップされています(プリンス、ごめん)


2017年 Grammy Hall Of Fame グラミー殿堂入りした

Bonnie Raitt - I Can't Make You Love Me
(邦題:夕映えの恋人たち)
ピアノは昔「The Way It Is」がヒットしたブルース・ホーンズビー
 

やはり『Emancipation』に入っている別のカバー曲「La-La (Means I Love U)」

こちらはモータウン系ですね。スモーキー・ロビンソンの声と歌い方にそっくり。もしかして、パロってる?そんなことないよね?先達へのリスペクトよね、プリンス?

本当にあなた様は変幻自在、どんな曲でもこなせるのですね。不謹慎だけど、なんか笑っちゃう。芸達者ぶりがすごくて さすがっ