英ガーディアン紙の記事が面白かったので訳しました。

Vaultもプリンスの壮大な計画の一つだったのだろうか。。
単に、溢れ出る創作意欲を抑えきれなかっただけ、という気もするけど。

地上で皆が右往左往している様子を見て、あの世から「サプラーイズ、サプラーイズ♪」(AOA『U KNOW』より)とか言ってそう プリンス様、これも何かのトリックですか?

少し早いですが、皆さま良い週末を♪

Get off!  Why Prince's archive is an act of defiance against pop industry capitalism
 〜 The Guardian  October 24, 2016

プリンスは他のどのスター達とも違って、音源を自分で管理した。今後 1世紀にわたり少しずつ発表されることになるであろう Vault (未発表音源を貯蔵する保管庫)を残して。手始めは 『パープル・レイン』のリイシュー。なぜ彼は音源の管理者を雇わなかったのか?

ワーナー・ブラザーズが『パープル・レイン』のデラックス盤、没後のバージョンを、オリジナル盤の2倍の長さでリリースするというニュース (プリンスが生前企画していた)は、音楽業界に熱気をもたらしている。コラボレーターは、プリンスの全作品のうちVaultの未発表音源は70%を占めると言う。よって、プリンスの遺産は今後何世紀も放出されていくことになるだろう。もしそうなるとしても、彼は現代の流行りよりも後世の人々を視野に入れた初のアーティストという訳ではない。

ベートーヴェンは、ウィーンに彼の弦楽四重奏を演奏できる音楽家がいないことがわかると、ストレスをためたバイオリニストにこう言った。「これらの曲は君達のためじゃない。後世の人々のためだ。」
アレクサンドリア派(ギリシャ)の詩人、CP Cavafy は1932年に亡くなったが、現在彼の代名詞となっているエロティックな詩は没後発表された。カフカは全ての原稿を死んだら燃やすように命じていた。有難いことに、それは実行されなかったが。

歴史上のパターンはこうだ。芸術家の存命中に、創造性や作風により市場からふるいにかけられる。そして、芸術家の死後、偉大であると見なされると、市場は彼らの未発表作品を商品化するのに熱心になる。芸術家が亡くなり、もう創作できないという理由、また作品の希少性という理由から商品価値は上昇する。

1997
年に、テクノロジーが音楽ビジネスの従来のパターンを破壊するだろうといち早く予感したのは デヴィット・ボウイだった。資金調達の先駆者であるボウイは、彼の発表済みの楽曲からの収入を証券化した ー 10年間で8%の利回りにして、将来のロイヤリティ(使用料)に対して$55 m(当時£33 m)の年利を受け取る。彼の動機はこうだ。インターネット時代の到来とともに、録音された楽曲のロイヤリティは恐らく減少する。それなら将来受けとるより、すぐ受けとったほうがよい。


「ボウイ債」が公表されて間もなく、プリンスがボウイ債を設計した投資銀行家デビット・プルマンに相談したのは有名だ。プルマンは、プリンスの未発表曲は$100 mの価値になるだろうと記者団に語った。しかし「プリンス債」は設計されなかった。

プリンスの遺産は今後数年にわたり、少しずつ発表されることになりそうだ。彼の音楽だけでなく、イメージからも価値を最大限に引き出しながら。
もしそうなるならば、プリンスは音楽全体のジャンルの発明に加え、「没後資本主義」の発明者として歴史に残るかもしれない。ボウイ債のロジックを変え、はるかに面白いことを成し遂げた人物として。

ますます増える知的財産に基づくビジネスにおいて、著作権法は極めて重要である。主要な音楽や映画スタジオを所有する複合企業は、時間をかけて著作権の適用期間を延長してきた。米国においては、 寿命 + 70 年。作者が「法人」なら、期間は制作日から120年まで延長される。が、自分の作品を没後発表する意思がある「法人」ならどうなるか? そして、「法人」は一体いつ死ぬのか?

ノート、日記、草稿、初期スクリプト... 一般的に未発表のアナログ作品に対する著作権法はアーカイブに関する法である。しかし、プリンスが 1995年に制作した Good Dick and a Job」と呼ばれるソロ曲が、ドラフト段階の作品か完成した作品かいったい誰がわかるだろう? 彼はその曲を 1995年5月19日のパーティー で “初披露” し、録音したが、コンサートで演奏することはなかった。

これらの問いかけをしてみると、プリンスの風変りな仕事のやり方がより鮮明になる。未発表曲のアーカイブは、もし遺産管理会社が望むなら、120年になるだろう。すなわち、2136年(プリンスの最後のアルバムは 2016年にリリースされた)。ミネソタの大邸宅の白い壁の後ろで、プリンスはボウイよりもさらに洗練された情報資本主義の形の先駆者になるかもしれない。そして、スタジオの弁護士によって作成された契約書よりも先見の明があったと見なされるかもしれない。

大物アーティストの中でもユニークなプリンスは、彼が録音した楽曲のマスターテープを自分で所有していた。現代のスタジオ・システムにおいては、曲をレーベルに売るなら、作曲と演奏のロイヤリティを受け取ることができる。しかし、マスター音源の所有権を失うことになる。それを避けるために、プリンスは作品のほぼ大半を保持した。

さらに、彼自身の了解によるものだろうが、彼は いつもスタジオにベストの曲を提供していたわけではない。実際、インタビューや発表したレコードジ ャケットの解説(sleeve notes)で未発表曲に命名することにより、伏線を張った。そして、細心の注意を払ってこの宝庫を作りながらも、遺言は残さなかった。未発表曲に希少性、関心と価値をもたらした。伝えられるところによると、プリンスはこの宝庫は破壊されるべきだと冗談を言っていたらしい。

プリンスは、要するに、ポップミュージックの商業規則を無視する巨大な行為をした。まるで子供の遊びのように。キャリア中盤でシンボルに改名したことなどがそれだ。
彼は全てをよくわかっていた。1990年代以降、自分の全作品をボウイ債のように変換することもできた。でも彼は逆を行った。所有権を保持し、 ただ手元に保管した。これから他の人々が、いつ、どこで、いくらで商品化されるかを解決することになるのだが。

我々はアーティストとお金の間を行ったり来たりする時代に生きている。作品は誰のためなのか?対象となるリスナーは誰か?お金を払う消費者は誰か? これは、TVドラマ、 劇場やグローバルのアート市場でも言えることだ。「アート作品は何を変えるのか?」「作品はどんな影響力を持つか?」は正当な問いかけだろう。

プリンスの Vault はそれら全てのことに反抗して歪められた唇のようだ。このことは、アーティストが望むなら、人の手を借りずに自力で創作することができるのだということを我々に気づかせてくれる。創作しながら、様々な問題を追いやることもできるのだと。

金銭面においては、プリンスは自身の突飛なライフスタイルを維持するために、発表した作品から十分な収入の流れを確立したところで、自身の成果物を商品化することに興味を失ったように思われる。それは今では他の人々の問題となっているのだが。