以前上げていたこちらの記事も、一部復活させました。

The Book of Prince ー Prince had grand plans for his autobiography, but only a few months to liveby Dan Piepenbring ~ The New Yorker, September 2, 2019 (September 9,Issue)


(一部和訳) 誤訳あったらスミマセン💦

この回顧録は皆を驚かせるものでなくてはならないだろう。皆を刺激し、やる気を起こさせる。ある種の文化資本になるだろう。「友達から友達へ回し読みされるような本がいいな。たとえば、君『ウェイキング・ライフ』を知ってる?」2001年に公開されたリチャード・リンクレイター監督の超現実的な映画に触れた。知っていると私は答えた。「友達全員に見せるんじゃなくて、気の合う友達だけに見せるような本」マイルス・デイヴィスの自伝やジョン・ハワード・グリフィンの『Black Like Me』のような本が目安になると彼は考えた。

この本を執筆することにより、彼は自身の人生の物語をより理解できるようになるだろう。以前テレビ番組で元従業員女性が、自分がヴォルトにある未発表曲を保管し守ることは神から与えられた務めだと思った、と語っているのを見たと彼は言った。 「さて、警察を呼ぶべきかな。人種差別じゃないってどうして言える?」人はいつも彼や黒人アーティストに対し、まるで自分自身を管理できないと言わんばかりに、自分では何もできない無力な役割を当てがってきた。「僕はまだ自分で歯磨きしないとね」彼は言った。

(中略)

1993年にプリンスと長年のレコード・レーベルであるワーナーブラザーズとの関係が公に破綻した。当時の彼の契約は、レーベルにさらに6枚のアルバムを作る約束をして、対価として1億ドル受け取るものだった。しかしその契約内容は1年にアルバムを1枚しかリリースできないように制限するものであり、レーベルがマスターを所有するというものだった。契約が反故になることを望んで、プリンスは自分の名前を発音できないシンボルに変え、顔に「slave(奴隷)と書いて公の場に現れた。後にマネージャーであるフェイドラ・エリス=ラムキンスの助けを借りて、2014年に彼はマスター録音の管理権を手にすることになるのだが。全てのアーティスト、特に黒人アーティストはマスターを所有するべきだ、と彼は私に言った。所有権こそが人種差別と戦う方法だと考えていたのだ。黒人のコミュニティーは、ミュージシャンのマスター録音と知的財産を守ることによって富を取り戻すだろう。そしてその富を守り、自分達の警察を雇い、自分達の学校を設立し、自分達のやり方で契約を結ぶだろう。

彼は音楽業界は最初から黒人音楽をサイロ化(隔離)していたことを私に思い出させた。 音楽業界は黒人アーティストを「黒人基地」に向けてプロモーションした。そして黒人基地で売れた時だけ、アーティスト達はジャンルを越境した。ビルボードはこの区分を測定し、定量化するために今日まで続く全く不要なチャートを開発した(注:当時はBlackチャート → 現在はR&B/Hip Hopチャートなど)「なぜワーナーブラザーズは僕がレーベルの社長になれると思わなかったのかな?」彼は尋ねた。「大手レコード会社の重役達に会議で言いたいよ。「オッケー、あなたは人種差別主義者だってね。君にそう言ったらどう思う?」彼は燃えるような激しい目で私を見た。「人種差別を解決する本を書けるかな?」彼は尋ねた。 私が答える前に別の質問をした。「人種差別とはどういう意味だと思う?」

私は数秒間慌てて喋った後に、辞書の定義文のようなことを言ったが、プリンスはわずかに頷いたのみだった。彼はミネアポリスで経験した人種差別の初期の頃の思い出を振り返っていた。当時彼の親友はユダヤ人だった。「君によく似てたよ」と彼は言った。ある日誰かがその男の子に石を投げた。ノース・ミネアポリスは黒人のコミュニティだったため、プリンスは1967年に4年生になり、近所の子供達と、白人が大多数を占める小学校にバスで通うようになってから初めて直に人種差別を経験した。振り返ってみると、当時のミネソタは分離差別主義のアラバマほど啓蒙されていなかったと彼は感じていた。1992年の自身の曲『The Sacrifice of Victor』ではバス通学の様子を痛烈に歌っている。

「僕がいるのを好ましく思わない金持ちの子供達と学校に通ったんだ。」彼は言った。一人が彼をNワード(注:ニガー)で呼んだとき、プリンスはパンチを見舞ってやった。「やらなくちゃと感じたんだ。ラッキーなことに、そいつは泣いて逃げていったけどね。でも、戦いはどこで終わるんだろう?どこで終わるべきなんだろう?いつ戦うべきかってどうやったらわかるんだろう?」

人種差別が油断のならない様相を呈するにつれ、この質問はより複雑になっていったと彼は言った。 「つまり「すべての命が大切だ(All lives matter)」は皮肉だってことさ」当時ある程度の牽引力のあった極右のスローガンに触れて彼は言った。

少しして、「正直言って、君にこの本が書けるとは思わないな」と言った。私が人種差別についてもっと知る必要があると思ったのだ。彼はヒップホップについて話し、ヒップホップとは言葉を変換するための手段だと言った。白人の言語(「君の言語」)を白人が理解できないものに変えるのだと。マイルス・デイビスは思考には二種類あると信じていたと彼は言った。それは真実と白人のたわごとだと。

それでも、少し後で、音楽業界がアーティストを支配する様々な形態について議論していたとき、私は彼を刺激するようなことを言ったらしい。 音楽ビジネスが書籍の出版をモデルにしていることを考えると、本を出版することについて彼の興味は何なのだろうと思った。 契約、前払い金、ロイヤリティ、収入分割、著作権... 彼がレコード・レーベルで忌み嫌った知的財産へのアプローチは出版業界に起源があったのだ。 彼の顔が輝いた。「自分が原稿をタイプしている姿が見えるよ」キーボードでタイプする仕草をして彼は言った。「君達はなぜ僕が本を出版するのか不思議に思っているだろうね...」

(中略)

金曜日にジョンソンは紙をとりに来るようにと私をピーター・ブレイブストロング(プリンスの偽名)のスイートルームに呼び出した。簡単な引き継ぎだと思っていたが、2時間会話することになった。プリンスは自分の顔が書かれた虹色のトップスを着ており、ページを読むために私を机に座らせた。脇には数パックのヘアネットがあった。「ここに座って」彼はペンと紙を持ってきて再び言った。「音楽は癒しだ(Music is healing.)」と彼は言った。「まずそれを書いて」これは私達の指針となるものだった。「音楽には物事をまとめる力がある(Music holds things together.)」

ペイズリーパークで話して以来、本に対する彼の野心は増幅していた。「この本は自伝の形をとった、伝記の形をとった、素晴らしいコミュニティー(共同体)のためのハンドブックになるべきだ」彼は言った。「自分が作ったものは自分のものだと教えるものになるべきだ」人々、特に若い黒人アーティストを助け、彼らが持つパワーとその作用を実現するのは私達の義務だった。

私は回想録を一種のハンドブックとして定義するアイデアが気に入った。そのアイデアは本の題名『The Beautiful Ones』にクリエイターのコミュニティー全体を差す別の意味のレイヤー(層)をもたらし、権限を拡大するやり方だった。「自分が作ったものを保持するんだ」と、プリンスは私に何度も言った。「ミネアポリスが僕を作ったから、僕はミネアポリスに留まった。お返ししなくちゃいけないんだよ。父はルイジアナ州コットンバレーからミネアポリスに移り住み、過酷な状況で富を管理する意味を学んだんだ」

プリンスは、20世紀初頭に栄えた黒人起業家精神の源である、オクラホマ州タルサにあった「黒人のウォール街」について読者に教えたかった。 南北戦争後、解放された黒人達が活況を呈する都市に押し寄せ、土地を購入した。人種差別は彼らをグリーンウッド地区に押しやり、そこでは彼らの事業と創意あふれるアイデアで繁栄した共同体が形成された。 すぐに、グリーンウッド地区は100以上の黒人が経営する会社と、20数軒の教会、数個の学校、1つの公共図書館を有するようになった。プリンスは富を蓄えることに関する本を読むのが大好きだった。しかし、やがてタルサの1921年の民族虐殺が始まった。黒人の少年が白人の少女を強姦しようとしたという非難により扇動された何千人もの武装した白人が、グリーンウッド地区を灯油で覆い、ブロックごとに焼き払い、略奪したのだ。 数百人が死亡し、約1万人が家を失った。「黒人のウォール街」は破壊されたのだ。

「 『水源(The Fountainhead)』」とプリンスは言った。 「あの本を読んだかい? どう思った?」私は好きではないと答えた。著者アイン・ランドが自由市場と自由な個人主義を擁護して創出した客観主義(objectivism)や現代の侍者(注:司祭を補助する役割)に我慢ならないと言った。プリンスも哲学は魅惑的だと思ったようだが、私の意見に同意した。「僕達にはファンだけでなく、支配階級に訴えかける本が必要だ。「水源」をレンガごとに解体する必要がある。支配階級の聖書みたいな本。それは様々な問題の複合体だ。 彼らは基本的に楽園を廃絶したいんだからね。」と彼は言った。「僕達は至上主義(Supremacy。おそらく白人至上主義のことを言っている)という概念全体を攻撃すべきだ」言葉本来の意味(至高)の純粋さは損なわれていると彼は思った。「かつてはSupremes(シュープリームス)と呼ばれるバンドがあったんだよ!至高とは、すべてが繁栄し、すべてが豊かなことさ」

だが、黒人の創造性のために集団的所有権を急進的に呼びかけけることは単独ではできなかった、と彼は言った。 「僕が『パープルレイン』を所有している」と言うと、「カニエっぽく...聞こえるだろ」 彼は一瞬黙った。「友達だと思ってるけど」所有権に関する発言はしばしば尊大だと見られる、と彼は思っていた。 他人が発言する方がより説得力があった。彼はこの本で彼の言葉と私の言葉を共存させる方法を探していたのだ。「最終章に向かって、僕たちの声が混じり始めたら、それってドープだよね(注:ヤバいよね)。」彼は言った。「最初は明確に区分されているけど、最後の方は2人で書く」

----------------------

※ コミュニティーのハンドブックは、あくまで構想段階の案です。プリンスは回顧録を出版することにすごく意欲的で、途中から構想が壮大なものになっていき、まだ自分の中でしっかり固まっていなかったよう。
が、今のアメリカの状況を考えるに、壮言大語ではなく、真剣にブラックの人達のことを考え、現状を憂えていたのだと思います。

(補足説明)
・アラバマ州 ... 奴隷貿易と綿花栽培の地。古くから人種分離を支持。1955年に州都モンゴメリーで起きたローザ・パークス逮捕事件が公民権運動の口火を切り、セルマの行進(セルマからモンゴメリーへ)などが起きた。

『Black Like Me』... 1961年出版。白人ジャーナリスト、ジョン・ハワード・グリフィンが黒人の多く住むアメリカ南部を旅した時の様子を綴るノンフィクション

・黒人の所有権

  盟友スパイク・リーに所有権について語っています

 「所有権こそ、君の子供達に与えるべきものだ。」

プリンスはリーに言った。「それこそが君の功績だよ。」所有権を持つことにより自由を擁護することは、彼らに共通した行動主義の鍵になる部分だった。

ちなみに、スパイクの制作会社「40 Acres and a Mule(40エーカーとラバ1頭)」は奴隷の再建期から命名

・クラーク夫妻によるドールテスト「White doll, Black doll」
 Youtube に動画がアップされています。

 ジェームス・ブラウンのドキュメンタリー映画のトークショーでだったか、ピーター・バラカンさんが「昔、黒人は"二級市民"と見られていた。それは今でも続いている。色が黒いほど差別される傾向がある。」と語っていたのを思い出しました。プリンスは色も白いし、一見して黒人とわからないから(ラテン系のように見える)、人気が出たのもあると思います。それでも差別にあっていたのですね。

・ルイジアナ州コットンバレー... ウェブスター郡  Wikipedia 参照

・ブラック・ウォール・ストリートとタルサ暴動
  ブログで説明してくださっている方がいます。

『水源(The Fountainhead)』アイン・ランド著   Wikipedia 参照


・アンドレ・シモンのインタビュー  *映像あり

ノース・ミネアポリスで暮らしていた10代の頃、公民権運動と1960年代の混乱期を経験した。
「プリンスや俺達の暮らしぶりは多くの人には理解できないだろうけど、狂った水の中を通り抜けなければならなかった。俺は撃たれたことや刺されたこともあったし、隣にいた人が撃たれて死んだのを見たこともある。プリンスは俺達と暮らし始めてかなり驚いたと思う。俺の兄弟達は警察沙汰を起こしていたし、俺は兄から保身用に銃を渡された。プリンスは「ワオ。君銃を手に入れたんだ。」初めて銃を手に取ると、通りに向けて引き金を引いた。俺は「何してんだ!しまえよ。」と。バンドを始めてからは、ギグに行く途中にしばしば警官から引き止められ揉めた。ある日プリンスとバイクに乗っていると警官に引き止められ、俺は間違ったことを言ってしまい、牢屋に入れられた。何も悪いことはしてないのに、それが現実だった。」 
インタビュアーのアンドレア・スウェンソンさんや白人の人達には、ブラックの人達の暮らしぶりはわからないのでしょうね...



プリンスがいたら暴力に訴えるのではなく、持続可能で知的な方法で人々を先導したんだろうな。後進達が立ち上がっているので、見守っていてくださいませ🙏


Black Is The New Black.  新しいバンドによる新しいグルーヴ

(関連記事)
最後にレコーディングした曲『RUFF ENUFF』音源公開

Last December 歌詞