ペイズリーパークの内部映像が2本公開されました。

1. VICE News 取材映像

2. ペイズリーパーク・ミュージアム 遺品管理者ミッチ・マグワイア氏によるバーチャル・イベント映像

ざっと観たのでサマリ載せますね


映像①  4月21日に公開されたVICE News記者と『The Beautiful Ones』編集者(元共著者)ダン・パイペンブリング氏の取材映像


プリンスの「ペイズリーパーク」の内部をVICE Newsが独占取材 命日にあわせ映像公開」〜 amass  2020年4月22日

映像We Took a Tour of Prince's Home Before Coronavirus Shut it Down」
* 字幕起こし機能があります。日本語はイマイチでした


まずエントランス前にあるパープルのライトを見て、「イベントがある時は点灯され、ペイズリーパークをパープルに照らした。それがイベントの有無を知る手がかりだった。他には車で来て確認するしかなかった。外観は80年代らしいアルミの板張り仕様。」とダンさん
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エントランス・ホールから階段下通路へ。壁には所狭しとゴールドディスクなどが飾ってある
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客人をもてなしたアトリウム(吹き抜けの大広間)は素通りして
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恐らく奥の階段から2皆に上がり、カンファレンス・ルームへ。ダンさん思い出の場所

以下ダンさんのコメント

「ここがカンファレンス・ルームだよ。プリンスと初めて会って打ち合わせした場所さ(2016年)。この部屋の静けさが大好きだよ。静粛が僕達の最初の会話を緊張感のあるものにしたと思う。それまで静粛の中でプリンスの声を聞いたことはなかった。彼の曲やライブでしか聞いたことがなかったからね。このテーブルに座り、彼と目を合わせて話せたのは特別な出来事だったよ。」

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1階  サウンド・ステージ(正式名称はプロダクション・ステージ。ライブを行ったホール)  

「プリンスが亡くなった後ペイズリーパークに来てある部屋へ行くと
(スタジオBの映像が映る)、プリンスが使っていた香水の香りがして、座りこんだのを覚えている。彼がそこにいるような気がしたんだ。その時はまだミュージアムになっていなかったから、彼のスピリットがどこかへ消えてしまったような気がして悲しかった。今来てみると明らかに別の場所という感じがするけど、彼はミュージアムににするのを望んでいたから、ある意味彼が始めたことが現実になったわけだし、いろんな意味で80年代に迷い込んだ気がして好きだよ。生き生きと保存されていて、もちろん彼が好きであろう言葉の一つ、"コミュニティ" がこの場所の周りで育まれているのは素晴らしいことだと思う(フェンスにメモリアルを飾る人々の映像が映る)。彼が生きてる間は来られなかった人達が、今は来ることができるんだから。」

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アトリウム に戻り

「部屋を断片的に見ただけだから、ペイズリーパークの間取りを把握するのにかなり時間がかかったよ。ちょっと待って、彼と会った部屋に戻るにはどうすればいいんだっけ?って感じでね。今はやっと方向がわかるようになったけど、そうなるまでにはかなり時間を要したよ。ここは最良の形でのラビリンス(迷宮)みたいだね。」

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パープルレイン・ルーム

「この部屋は彼が亡くなった後すぐに見たけど(ミュージアムになる前)、バイクが1台置いてあったな。亡くなる前もそうだったみたいだね。(インタビュアー:ここレコーディング・スタジオ*だったんだよね。バイクでくつろいでたのかな (?)そうだね、いつ音を拾って、レコードに載せるかわからないからね(若干意味不明)。」

* 注)観覧ツアーに参加した時、ガイドからはダンス・スタジオだったと説明を受けました。ここで振り付けのリハーサルをしたと。

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スタジオB
卓球台へ。後ろに置いてある"パープル・ボール"で プレイする二人(ミュージアム・ツアーでも開放されています) 

「卓球をするのは彼にとってある種の瞑想みたいなものだったんじゃないかな。彼のギタリストが言っていたのを覚えてるんだけど、バンドメンバーがサウンドステージでリハーサルをしている時に、プリンスはここで卓球をしながらサウンドを聴いていて、それからサウンドステージまで走っていって「それだ!そのサウンドだよ!」と言っていたらしい。」

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再び サウンドステージ

プリンスは多作のアーティストだったが、と聞かれ
「プリンスは起業家、ビジネスマンとしてもすごく活動的だったし、ある意味 彼が亡くなった後に沢山の曲を聴けるように御膳立てしていたのは、興味深い芸術的な判断であると共に、実に賢明なビジネス的な判断だったと思う。」

我々2人はプリンスが商業的成功を収めて頂点に立った後の世代だけど、プリンスを見て「このヘンな奴(weird dude)知らない」という言う若い子達に、プリンスはどんな意味があると思うか?と聞かれ
「そっぽを向く人達もいるだろうね。今の音楽業界は、同じように聞こえる同質の音楽を量産する傾向にある。(インタビュアー:プリンスはずっとそれを指摘していたよね そういう意味では、彼の"ヘンさ(weirdness)"は彼の最大の資産(強み)になるだろうね。世界は明らかにこれ以上ヘンになることはなさそうだから。」

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"Weird person" は、文字通り"ヘンな人" "変わってる人"という意味で、ダンさんがプリンスをこう表するとは思いませんでしたが、若手ジャーナリストであるダンさんが極めて冷静かつ客観的に分析するとこうなるかと(笑)。普通の人とは "違う個性"  "ユニークさ" を持っているという意味も込めているとは思いますが...。

だって、やっぱり "ヘン" ですもん、プリンス。アメリカのブラック・ミュージックの系譜で突然変異的にミネアポリスから現れたパープル王子。

自分の場合は、「プリンスは、プリンスだよなぁ。」 この一言につきます(笑)。
他の誰とも違う独自路線。動向をチェックせずとも、自分らしく音楽やってるんだろうな〜と思ってました。

ベック先生が解説するプリンスの"特殊性"🤓


ラビリンスと言えば、、
先月だったか、あるミュージシャンが(名前忘れた)ペイズリーパークへセッションしに行った時、トイレの場所がわからずプリンスに聞いたところ、親切に連れて行ってくれたとツイートしていました。他のミュージシャンが俺もそうだったよ!と即リプしており、皆迷っちゃうんだな...とクスっとしました  観覧ツアーでも通される部屋はごく一部だから、全容がつかめないんですよね。

ダンさんはスタジオBへ行ったのかな?(部屋は特定していない)
自分はスタジオAでプリンスの姿が見えて、しばらく動けなかったのですが... きっとまだいるよね


(補足説明)

ダンさんがプリンスに呼ばれて初めてペイズリーパークを訪れた時の様子

The Book of Prince Prince had grand plans for his autobiography, but only a few months to liveby Dan Piepenbring The New Yorker, September 2, 2019 (September 9,Issue) より一部引用


プリンスは正面玄関に一人立っていた。

「ダン、はじめまして」私が近づくと彼は言った。「プリンスです」彼の声は穏やかで、思ったよりも低かった。

玄関ホールの明かりは薄暗く、静粛を破るのものは2階の檻にいる鳩の鳴き声のみだった。部屋の隅からは香りのするキャンドルがゆらゆらと灯っていた。プリンスは黄褐色のゆったりした毛織り物のトップスとそれに合わせたパンツ、緑のベスト、ビーズ・ネックレスを身につけており、アフロヘアはオリーブグリーンのニット帽の下に隠れていた。スニーカーは白いプラットフォームで、底には光るルーサイトのソールがついており、階段を上がり小さな空中廊下を通って会議室に行く時赤く光っていた。

会議室では長いガラスのテーブルに彼のトレードマークである記号(注:シンボル)が刻まれており、奥にはハート型に配置された2つの小さなソファ、その横にはシダが置いてあった。 吹き抜けのアーチ型の天井には、ピアノの銀盤に縁取られたパープルの星雲の壁画が描かれていた。プリンスはテーブルの上座に座り、「ここに座って」と自分の隣の椅子を指差しながら言った。 自分の周りの空間を仕切ることに慣れているようだった。



こちらのインタビューもどうぞ↓

NPR(アメリカ公共ラジオ局)の看板トークショー「Fresh Air」にダンさんが出演した時のインタビュー
Prince Wanted To 'Break The Mold Of The Memoir,' Says His Co-Writer」 〜 NPR, October 28, 2019   *音声とテキストあり
 
(一部引用)
* 機械翻訳サービス DeepLで日本語変換、コピペしました。現時点ではGoogle翻訳より精度高くてお勧めです。

インタビュアー、テリー・グロス(以下 テリー):この本は素晴らしいですね。死後に出すことができたものを出すことができて、本当に良かったと思います。プリンスはいつも自分の人生を楕円的に語っていた。なぜ彼は回顧録を書こうと思ったのでしょうか?

ダン:ああ、それはもちろん、みんなの心の中にある質問であり、私が最初に彼に会いに行った時、私自身がとても気になっていたことです。そして、彼の心の中にはいくつかのことがあったと思います。彼はおそらく、自分が年をとっていくという事実を意識していたのだと思います。自分の死期や遺産について。そして、両親と過去が彼の心理を形成し、創造的なアイデンティティを形成する上で果たした役割に改めて注目していたのだと思います。そして彼は、音楽では得られないような深みのあるアイデアを探求する機会として、本を選んだのだと思います。

人生の終わりに向けて、彼は活動家としての第二の行動を経験していました。かつてはなかったかもしれませんが、彼は非常に政治的な意識を持っていました。彼は黒人居住権問題運動の大支援者でした。ボルチモアでフレディ・グレイが警察に殺害された時、プリンスはそこに行ってショーをやりました。彼は "Baltimore "という曲まで書いたんですが、それは彼のカタログの中で最もストレートなプロテストソングのようなものでした。多くの政治的危機を経験し、アメリカでアフリカ系アメリカ人のクリエーターとして成功するにはどうすればいいのかという鋭い考えを持っていた彼は、この回顧録を、自分の音楽では不可能なことを、より率直に表現する方法だと考えたのだと思います

テリー:回顧録を書こうとした理由のリストの中で 死を意識するようになったことが 理由の一つですね 彼の友人が病気になっていました。それが彼が死を意識するようになった理由の一つだと思いますか?

ダン:その通り そして、彼は自分の音楽仲間が何をしているのかを常に意識していた人だったと思います。マイケル・ジャクソンの死は、彼に大きな影響を与えたと思います。彼と私はマイケルのことをよく話していました。それはマイケルだけで、決してマイケル・ジャクソンではなかった。そして、プリンスがチャートでも音楽的にも争いの絶えない関係にありながらも、とても実りのある関係を築いていた、彼のチーフ・ライバルのような存在だった人の死は、意識的にも潜在意識的にも彼に重くのしかかっていたと思います。だから、この地球を去ることが何を意味するのか、何を残していくのか、彼はもっと考えていたと思います。

テリー:
プリンスが回顧録を書こうとした理由の一つに、彼が両親の合成としてどのようにして現れたのかを説明したかったということがあります。彼の両親がお互いに違っていた点は何かありますか?

ダン:彼がオーストラリアで私を座らせて見せてくれた回顧録のページでは、最初の段落から、彼は彼の母親と父親について考えていて、どのように彼らは本当に彼の存在の2つの極のようなものを形成したかを考えています。彼は、亡くなる4日前に、私と彼との最後の会話の中で、それが彼の人生の中心的なジレンマの一つであると言いました。彼は、秩序、有限性、真実が好きだと言っていました。それらはすべて彼の父親に由来するものだった。でも、ディージェイがファンキーな曲を演奏すると、彼は踊りたくなるし、それは母親の影響でしょうね。

彼の母親は、このページの中で、とても自由奔放で、ほとんど頭の固い女性として登場しています。もちろん プリンスのキャリアの中では それが何度も見られますが しかし、彼の父親はもっと規律正しい信心深い人で、ナイトクラブのミュージシャンとミネアポリスのハネウェル工場で2つの仕事をしていました。父は本当に、食卓に食べ物を並べることと、電車を時間通りに走らせることだけに気を配っていました。

プリンスにもそれは見られますよね。だから、彼の心の中では、この2つを両立させようと常に努力していたのだと思います。緊張感を感じていたと思います それは彼がキャリアを通して探求してきたことだと思います。


長いインタビューですが、「If I Was Your Girlfriend」「When Doves Cry」のダンさんなりの解釈もあり、興味深かったです。


4月にプリンスの回顧録『The Beautiful Ones』日本語版が出版されました!3000部限定とのこと。

THE BEAUTIFUL ONES プリンス回顧録
プリンス
DU BOOKS
2020-04-21


原書はまだちゃんと読んでない💦 買っただけで安心するタイプ



映像② Paisley Park ミュージアム 遺品管理者ミッチ・マグワイア氏によるバーチャル・イベント映像

イベント告知

イベント映像
 リンク:https://www.facebook.com/watch/live/?v=246108453170246&ref=watch_permalink


いきなり2階部分が映し出されて驚きました。鳩が増えている!🕊🕊🕊

時間切れ。後日追加しますね。


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Paisley Park's Mitch Maguire talks about Prince's legacy」〜 The Current, April 20, 2017 ミッチ・マグワイア氏のインタビュー  *音声あり