以前見かけた記事でスルーしていたのですが、すごい人物だということを知り、サマリを載せました。
プリンス(シーラ・E)のバンドにこんなすごい人がいたのですね!ジャム&ルイスに引けを取らない経歴

インタビューはめったに受けないそうなので、必読でございます
Stone Rolling: Raphael Saadiq Interviewed
 〜 The Quietus  March 22, 2017


まず、本人のプロフィール紹介
http://www.sonymusic.co.jp/artist/raphaelsaadiq/profile/

ディアンジェロやソランジュをプロデュースしたり、かのJ・ディラ(R&B, ヒップホップ界の最重要人物の一人。惜しくも夭逝)とプロダクションチーム The Ummahを結成したり、2パック(この人も最重要人物の一人。夭逝)、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、ケンドリック・ラマーとコラボレーションしたりと経歴がすごい。プリンスお墨付きの素晴らしいアーティスト💯💯💯✨

(サマリ)
カリフォルニア州オークランドで育ったサディークは多くの悲劇に見舞われた。14人の兄弟姉妹の下から二番目に生まれたが、7歳の時に兄が殺され、それから別の兄がヘロインの過剰摂取で死に、三番目の兄が自殺した。
「音楽をやることが最も安全な行為、という地域で育ったんだ。姉は俺が彼女のブルースレコードをかけるのを嫌がり、親父は俺が彼のベースギターに触ると叱り飛ばした。でも俺はどっちもやったけどね。」
その姉もまた、車に引かれて若くして亡くなった。彼は自分の音楽で一連の不幸について言及したことはなかったので、リスナーは曲を聴いても、わずかな怒りの痕跡さえ見つけるのは難しいだろう。

子供時代を通して、サディークは友人たちとゴスペルグループで歌っていたが、18歳の時に大きなチャンスが訪れた。パレードツアーに向けて、プリンスの弟子でありドラマー、シーラ・Eのバックバンドのオーディションを受けたのだ。彼はこう振り返る。
「親父から、プリンスが俺の名前を呼んでも興奮しないようにアドバイスを受けたんだ。プリンスなんて俺には何の意味もないぜってカンジで、オーディションではベースギターを演奏したよ。」
それは上手くいった。たとえプリンスの非標準的な男らしさが、後に驚くべきものだとわかることになっても。

「バンドにいるためには、たくさんのメイクをしなきゃならなかった。これは必須だったね。アイラインを引いたり、チークをつけたり、つまり基本的には女の子みたいに見えるように契約を結ばないといけなかったんだ。デイヴ・シャペルのスキットはジョークじゃないよ。俺たちは文字通り「The Blouses(ブラウス)」だったんだ!」

プリンスとのショーの後サディークは変身し、本来のボンバー・ジャケット、デトロイト・タイタンズの野球帽、白いTシャツ、リーバイスの501、ナイキのカルテット・スニーカーに着替えた。

「プリンスは俺が違う格好をしているのが好きだったみたいだな。俺が本来の自分でいたから。日本の横浜で「エロティック・シティ」を演奏していた時に俺はわかった。俺の人生は変わったんだって。」


プリンスとの時代は、やがて90年代の象徴的なR&Bダンストリオ、Tony! Toni! Toné! につながり(兄弟のドウェイン・ウィギンズと従兄弟のティモシー・クリスチャンとのトリオ)、デビューアルバムとセカンドアルバムが大ヒットした。やがてグループのサウンドがサディークのビジョンと反するものとなり、1997年に解散。

90年代後半はJ・ディラ、Q-Tip、ア・トライブ・コールド・クエストのAli Shaheed Muhammadとプロダクションチーム The Ummahを結成して活動した。特にJ・ディラからは大きな影響を受け、ディアンジェロのアルバム「Voodoo」「Brown Suger」をプロデュースする際、ビートの背景での楽器の演奏の仕方やタイミングのとり方について無意識にJ・ディラを模倣していたことを後になって自覚する。

(中略)

2000年代にはエイミー・ワインハウスと知り合い、エイミーは自身のアルバム「Back to Black」でバックバンドの美的基準がサディークにインスパイアされたものだと認め、サディークを褒めそやした。
「インタビューでよく聞かれるんだ。エイミーにインスパイアされたのかって。その逆だって知らないみたいでね。」
エイミーと俺は確かに話したし、エイミーが俺に言ったことは嬉しかったけどね。

(中略:自身のソロアルバムについて語る)

2017年のグラミー賞でケンドリック・ラマーではなく、テイラー・スウィフトが年間最優秀アルバム賞を受賞したことについて、サディークは「グラミーは道を見失った」と言う。
「ブリトニー・スピアーズはスティーリー・ダンより先にグラミー賞を受賞した。そんなのクレイジーだよ!全ての賞はやがてテレビから去り、死ぬ運命にあるだろう。音楽は賞をとる目的で作られるものより、はるかに良いものだよ。」

過去の功績について尋ねられると、サディークは一緒に仕事をした他のミュージシャンに注意をそらすのを好む。第53回グラミー賞で、ミック・ジャガーがソロモン・パークの古典「Everybody Needs Somebody To Love」をカバーした時、サディークはミックのバンドリーダー兼ギターリストを務めた。
「ミックはクールなヤツだよ。ハウリン・ウルフと一緒にやろうってアドバイスをくれたんだ(すでに亡くなっていたので、音源を使うという意味か?)。ミックは、ハウリンはただ自分のハーモニカを取り出し、何時間もストーンズとハードコアのブルースを演奏したもんだって言ってたな。」

定期的なコラボレーターであるエルトン・ジョンについてはこう言う。
「エルトンはいつでも新鮮な人さ(?)(He is such a new soul all the time)。黒人のバプティスト教会で演奏する人物を思い出させるよ。何がイカす曲かってわかってるんだ。彼の仕事論理はアスリートの論理だね。スタジオで俺たちミュージシャン全員を抱きしめてから、ピアノに向かって歩いて行き、歌を奏でる。」
Jay-Zからロン・アイズレー(アイズレー・ブラザーズ)、スティービー・ワンダーまで幅広いミュージシャン達と一緒に仕事をしてきたが、サディークが最も感動したのはエイミー・ワインハウスだったという。
「彼女がギターを弾きながら、同時に歌詞を書き歌う様子は、今まで見た中で最も素晴らしいものだった。真の天才だったよ。」

サディークに、数々の名前を挙げるのは自分から注意をそらすための策略のように感じる、と伝えたところ、彼はこう答えた。
「俺はミック・ジャガーやケンドリック・ラマーと一緒に仕事ができて幸運だよ。功績という観点では、俺はただ皆に俺がどんな風に音楽を作ったのか見て欲しいね。そして彼は悪い、悪い男だったって言って欲しい。あと、チェスの達人だったともね。」少し休んで続けた。「でも、皆が俺について何も言わないとしても、それはそれで満足だね。」

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うーん、最後の言葉かっこいい✨
それにしても数々のビックネームと共演していて、すごい。名前見ただけでお腹いっぱい

プリンスのファンサイトを運営するKIDさんによると、ラファエルの曲はソロ、プロデュース作、どれをとっても良いとのこと。聴いてみよう♪

(ご参考まで。KIDさんのディスクレビュー)
http://npg-kid.blogspot.jp/2012/05/instant-vintage-raphael-saadiq.html
http://npg-kid.blogspot.jp/2011/11/lucy-pearl-lucy-pearl.html

プリンスと交わした契約書の内容にウケた。メイクは必須だったのですね。
他にもいろいろありそ〜

ライブが終わったら即座に着替えるラファエルさんの姿が浮かぶ。それを見てフフっと笑うプリンスも。
パレードツアーは、プリンスが黄色いスーツを着てハッピバースデイ♪を祝っている動画なんかがアップされているけど、ラファエルさんを認識できなかった。画像が荒くて。


そして、エイミー・ワインハウスは天才だったのですね。ギターを弾きながら、歌詞を作り歌う様子はドキュメンタリー映画『エイミー』にも出てきました。神々しかった...。真の、純粋なアーティストだと感じました。

(関連記事&映像)

MICK JAGGER - EVERYBODY NEEDS SOMEBODY TO LOVE - Grammy's Awards 2011-Full Version 

ミック、かっこいい〜。さすがスター✨
ラファエルさん、ギター弾いてミックと絡んでます


エイミー