連載中の365日プリンスソング、、時間がなくて全ては読んでいないのですが、この文章は感動したので和訳しました。

How John Blackwell Jr. Helped Prince Reach a Transformative Moment
 〜 Diffuser  July 5, 2017   *「Everywhere」の音源あり


厳格な布教活動だとしばしば揶揄されることもあるが、2001年にリリースされたRainbow Childrenはプリンスの後期活動において最も興味深い楽曲を収録しており、このアルバムではドラマーのジョン・ブラックウェル Jr.がとても大きな役割を果たしている。

楽曲は、一聴するとサイケデリック・フュージョン、ハードロックR&B、ソウル、 ジャズなど、プリンスの楽曲では典型的な種々のオフビートが組み合わさったもののように聴こえるが、これらの要素が終始独創的で、深く絡み合う形で提示されている。(言うならば『Rainbow Children』は 1994年以降で、発音できないシンボルではなく、“プリンス”とクレジットされた記念すべき最初のアルバムである。)プリンスのもとで10年以上オンとオフで演奏したブラックウェルは、プリンスが過小評価されていたこの時期、中核(“beating heart”)として仕えていた。

ブラックウェルのプリンスとの初コラボレーション。ここから始まったのだ。ブラックウェルは、例によって、この自然の力によって、自分自身に確固として忠実でありながらもプリンスを新しい音楽の領域に駆り立てた演奏家だった。パティ・ラベルの初期のステージで、ブラックウェルの演奏がプリンスを圧倒した最初の瞬間から、二人の関係はダイナミックに確立されたのだ。

「俺はステージでパティとやることに没頭していたために、皆を遮断しているような感じだった。ステージの周りにいた皆をね。」
2002年にブラックウェルは「LiveDaily」のドン・ズライカ(Don Zulaica)にこう語った。
「俺はその夜プリンスが建物にいるかもしれないとわかっていた。でもゾーンに入っていたから、そのことに気を取られることはなかった。もし気を取られていたら、おそらく今プリンスのコンサートにはいなかっただろう。目立とうとして派手な演奏をしていたら、プリンスは瞬時に見抜いただろうから。」

そのかわりに、プリンスは自分の夢に生き、生まれついての特権をいかしながら、ジャズに引き込まれた恐れを知らない演奏家を見た。結局のところ、ブラックウェル自身 ― 南カリフォルニア生まれで、ボストンのバークリー音楽大学に通った後、ビリー・エクスタイン(Billy Eckstine。アメリカのジャズ&ポップ歌手)やキャメオ(Cameo。アメリカの R&B、ファンクバンド)と一緒に演奏していた ― は“Pocket Man”(本名: John Blackwell Sr.)として知られるドラマーの息子だった。

ブラックウェルは 2004年にリリースされた『Musicology』とNew Power Generationのメンバーとして数々のツアーに参加したのみならず、2003年のXpectationとグラミー賞にノミネートされた 『N.E.W.S.』に参加し、プリンスがよりオーガニックなサウンドを再発見するのに貢献した。彼は後に、ジャスティン・ティンバーレイク、フランキー・ビヴァリー (Frankie Beverly)をフューチャーしたメイズ(Maze)、ディアンジェロ、ブッツィー・コリンズらと一緒に演奏した。


ブラックウェルは脳腫瘍の診断の後もアップビートであり続けた。ブルーノート東京でソロのギグを演奏しようとしていた時に、その診断が判明した。次第に腕と脚を動かせなくなった。ブラックウェルはプリンスを哀悼していたが、まだ、あの世のバンドで最もファンキーなかつてのボスに加わる準備はできていなかった。

「プリンスがこう言っているのが聞こえるよ。「ジョンを呼ばなきゃ」って。」
ブラックウェルは 2016年に南カリフォルニアのWLTXに対して、笑いながら言った。
「だめだ、そうしちゃ!まだそのギグをしたくない。まだだよ。」

二人の偶然の邂逅は、音楽の瞬間的な繋がりから生まれ、最終的には父と息子の関係に発展した。ブラックウェルは、極めて初期の頃のコラボレーションに向けて準備していた時、無意識のうちに「Everywhere」『Rainbow Children』収録曲)で音楽を創作していた。

「俺は自分のドラムをチェックしていただけで、エンジニアがその瞬間に全てをマイキングしようとしていた(the engineer was trying to get a good miking of everything at that moment)。」
ブラックウェルはドン・ズライカに語った。
「そして彼らは言った。「全ての音がマイクでひろわれている。だから全てを演奏するんだ。そうすればいいミックスができるから。」だから俺はいくつかビートを叩いてね、そして早くてラテン系のビートを叩いたんだ。デニス・チェンバース(Dennis Chambers)やビリー・コブハム(Billy Cobham)が演奏するみたいにね。皆はこんな感じだった。「おぉ、そのまま続けて。」」

朝までに何らかの魔法が起きた。「次の日スタジオに入ったら、曲になっていたんだ。」ブラックウェルは驚いた。「バック・ボーカルが入っていて、とても美しかった。それが何になるかなんて分かりもしなかったんだよ。」

ブラックウェルは43歳で亡くなった。

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吉岡さんの「ナイト・サーチン」を聴きましたが、やはりジョンさんは最高峰のドラマーだったのですね。ドラマーの息子として英才教育を受け、演奏できるだけでなく、音楽理論を理解し、楽譜を読めるし書ける。
宇多田ヒカルのツアーでバンド・メンバーだった時は日本にも半年程滞在し、日本人に知り合いも多いとか。

ジョンさん、安らかにお眠りください。

この画像アップしてる人多いと思うけど(ブッツィー様含め)、好きな写真だから載せます
John




















この写真も好き。穏やかで優しそう...  
アンディ・アローがツイッターに載せてた
John Andy














(関連情報)

吉岡さんのソウル・サーチン
ジョン・ブラックウェル43歳で死去〜プリンスに愛されたドラマー
 プリンスとの思い出を語っている記事もリンクが貼られています。 
 プリンス、サブウェイにも行ってたのね

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