ミネアポリス旅行のレポートを始める前に、こちらの記事を和訳しました(一番下)。
"話す"って、すごい情報量のやりとりをしているのですね。文字にするとえらく長い...

プリンスの音楽を語る上で欠かせないLM-1 ドラムマシーン。ペイズリーパークのスタジオA、コントロールルーム内にしっかりありました。存在感あったなぁ...✨


プリンス論』(西寺 郷太 著)より一部引用

「ミネアポリス・ファンク」のトレードマークは、弾むシンセサイザーとリズム・マシーンの機械的な響き、高い演奏力と強靭なグルーヴ感を持つ生演奏の絶妙なブレンドにあった。

2016年4月26日 日本経済新聞 朝刊 
「ファンクの大衆化、道を開いたプリンス」 より一部引用

音楽史上の功績はシンセサイザーを大幅に取り入れた「ミネアポリスサウンド」と呼ばれる新型のファンクを生み出したことだろう。ジェームス・ブラウンらが60年代以降に築いたファンクの伝統を受け継ぎながら、80年代にロックやジャズ、テクノなどを融合させた。 

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(3月2日)

Roger Linn, inventor of the LM-1 drum machine, talks Prince and "When Doves Cry"
 〜 The Current  March 1, 2017 * テレフォンインタビューの音声あり 

(文字起こし 全文)*ドラムに詳しくないため、誤訳があればご容赦ください。

「Prince Remembered」にようこそ。私はセシリア・ジョンソン。The Currentブログのライターです。今日はドラムマシーンの開発者であり、ロジャー・リン・デザイン社の創始者であるロジャー・リンとテレフォンインタビューをします。ご機嫌いかがですか?

いいよ。

今日私とお話しいただくのは、LM-1ドラム・コンピューターが、 一般的に80年代音楽の特徴的な楽器であることに加え、プリンスの初期作品の重要な要素になっていたからです。ザ・タイムの「777-9311」におけるドラムや、「When Doves Cry」の冒頭のノッキング音(打ち込み音)などですね。プリンスのドラム・マシーンの使用が、ポップミュージックにどのような影響を与えたと思われますか? 

すごく大きなインパクトを与えたと思うよ。まず第一に、私にとっては天の恵みだったね。この新製品 を作って、皆が気に入ってくれた。でも、彼がヒットしたレコードで使ってくれたのが最大の助けとなったよ。LM-1ドラム・コンピューターが知られるようになったからね。当時、この製品がデモや短時間の録音に使われているのを知らなかったんだ。彼にはこの製品が、新しいサウンドだと見なす先見の明があったんだね。レコードを作るために、必須の要素だったんだね。私にとってはとてもいいことだったよ。

LM-1は ”LM-1 Drum Computer”という製品名で発売されました。"ドラム・マシーン" または "ドラム・コンピューター"、どちらで呼ばれるのを好みますか? 

楽器の一般的な製品カテゴリーはドラム・マシーンだ。ただ、私はその特別なモデルをドラム・コンピ ューターと呼んでいたね。そっちのほうがしっくりきたんだ。製品が発売された時、1979年頃だったが、当時人々は楽器に小さいチップ・コンピューターを入れて、機能を拡張させようとしていた時代だった。

ところで、あなたはプリンスのファンですか?

もちろんだよ。特に当時はね。彼はいつも創造的で、多くの音楽スタイルを組み合わせていたか ら、非常に幅広いリスナーを獲得することができた。最も重要なことは、彼は一貫してアイデアを持ち続けたことだね。

それが人を真のアーティストにするんじゃないだろうか。アイデアの頻度と量。アイデアがわくのはそんなに難しいことじゃない。だが、"良い"アイデアを思いつくのは難しい。巷には、悪いアイデアが溢れているからね。しかし、音楽や芸術にたずさわる者を真のアーティストたらしめるものは、良いアイデアの頻度と継続性だと思う。他の人達には見えない物を見る能力。彼はもちろん、それが素晴らしかったね。

例を挙げていただけますか?

ドラムマシーンの使用だね。それ以前は、人々はドラムマシーンが”ある”ということを理解しなければならなかった。製品は、オルガンみたいに家に置けるシンプルな小さなものだった。聞きとれない音があったり、あまり創造的ではない固定化されたビートがあったりした。

彼は、この機械がサンプリングされたサウンドを有しており、自分でビートをプログラムすることができるというのを見た。さらに、ドラム音自体を変えることもできるのをね。 風変りで、面白い、違った音がした。 例えば、ノッキング音についてだけど、それは“クロススティック・スネアドラム”と呼ばれるものを単に録音したものにすぎなかった。スネアドラム・スティックをドラムヘッド(ドラムの皮部分)に付けて、もう片方のスティックでドラムの縁を打つ。 彼はただ通常のサウンドを使ったが、約1オクターブかそれ以上下げてチューニングすることにし、いわゆる“ノッキング” サウンドと呼ばれるサウンドになったんだ。

彼はタンバリンについても同じことをした。タンバリンのようには聞こえないルーズなジャグリングのサウンド(じゃらじゃらというサウンド)に変えた。これらは彼のレコードの特徴的なサウンドになったから、当然多くのヤツらが盗んだ。

ガーディアン紙で、プリンスは、時々Bossギターペダルを通して、LM-1から音を出していたと読みました。あなたが提供したサウンドをそのようにカスタマイズしたことについて、どう思われますか?

ああ、それについては疑いようがないね。彼は自分の頭の中で、正しいサウンドはこうあるべきと聞くことができたんだと思う。 面白くて、自分の音楽を完璧なものにするサウンドをね。まず第一に、ビート志向の音楽の世界に片足を踏み入れていた。もう片足はギターの世界に踏み入れていた。ロックの世界にね。だから、ギターの世界から要素を取り入れることができた。ギタープロセッシング・ペダルのようにね。そして、そのペダルを使ってドラム処理をした。

多くの人は言う。「ああ、それはやるべきことじゃない。その製品は、そのために作られたものじゃない。」って。
だが、彼はとり入れて、他の人達が見ることのできない価値を見出したんだと思う。

プリンスがLM-1を使用したことで、クールな要因がもたらされたと思いますか?

ああ、確実にそう言えるね。 私の経験から、LM-1ドラム・コンピューターとそれに続くドラム・
マシーンが、より人気を増したから。 非常に、非常に素晴らしいことだった。

ポップ・ミュージックであなたの楽器が使われたことで、次のモデル、Linn Drumに対して何を変えようと思いましたか?

実際には、私が行おうとした変更は、LM-1を最初に発売したとき価格が5,000ドルしたため、価格を下げることだったんだ。その金額は、とりわけ1979年には非常に高額だったからね。プリンスのような人は買う余裕があったが、多くの人にとってはそうじゃなかった。だから、私はLinn Drumの製作コストを下げることで、製品に取り組もうとした。だが、コンピューター部品が高くなっているものもあってね。実際、手を加えたこともあるよ。2番目の製品Linn Drumは、より多くのメモリ(記憶装置)を持つようになった。元の製品に付いていなかったシンバルや他のものも加えたよ。

しかしプリンスは元の製品にこだわり続けた。その製品と特別な関係を持っていたんだ。そして、レコ ードを作るために使い続けた。実際、90年代か2000年代始めの頃、音楽誌で彼のインタビューを読んだんだが、ミネアポリスにあるペイズリーパーク・スタジオで、元のLM-1ドラム・コンピューターが写真に映っていた。ランプが付いていたね。まるで祭壇のようだった。

なぜプリンスは LM-1がそんなに好きだったのでしょう? 何か気づいたことがありますか? 

いや、私は彼に会ったことはないんだ。多分彼が見たLM-1に、他の物にはない魔法があったんじゃな いかな。つまり、私が非常に高価な製品で提供したのは、当時のデジタル回路を使って、ドラムの音色をチューニングできるように
したことだった(the independent tuning of all the drums)。 そこで、私は第2のモデルにおいて、さらにドラムのほとんどの音色をチューニングできるようにした(the tuning of most of the drums)。そうるすと、ノッキング音のように、低いチューニングをすることができなくなる。だから、それが理由じゃないかな。

彼が LM-1を使用して作った、好きなビートはありますか?

すごく沢山あるね。「When Doves Cry」はとても素晴らしかった。 LM-1から始まり、
LM-1でビートを演奏して、”a flanger”と呼ばれるギタープロセッサーの使い方や、ドラムマシーンのサウンドを変えたことなんかがね。ある種、トーンを上下に掃き掃除するような感じだね。録音はとてもシンプルで、楽器の使用は少なかったから、ほとんど彼の歌い声とドラムマシーンだけの曲だね。それから、時々彼のギターが加わる。他の楽器もあったけど、それほど多くは使われていなかった。
「1999」は大好きな曲だね。 たくさんあるよ。

彼の他の音楽的な才能に加えて、あなたはこう言いました。彼はギターに秀でていたと。プリンスはすごいドラマーでもありました。それが、あなたの機械の使い方に影響を与えたと思いますか?

そうだと思うね。私のマシーンを使用している人達、ドラマーではなく、また音楽をリズムの観点から 考えないという人達は、時にギターリストとして演奏する傾向がある。例えば、ドラムセットの後ろに座ってもどうやって演奏すればいいかわからないし、パートをどうやって作ったらいいか必ずしもわかっているわけじゃないから、あまりに多くのものを埋めこんでしまう。つまり、正しいビートで正しいグルービーなサウンドを演奏できないようなギターリスト達のことさ。プリンスはわかっていたと思うよ。マルチ・インストゥルメントだからね。多分、曲により適したビートとパートを作るのに、この機械がすごく役立ったんじゃないかな。

そして、繰り返し言うけど、彼は全体から音楽を見た人物だ。主にギターを演奏したけど、ギタープレイヤーだとは思わない。それ以上だったと思う。現在、自分のことを “プロデューサ ー” と呼ぶ人達というような意味でね。彼らは自分をレコーディング全体と、プロデュースするのに必要なことを考えるクリエーターだと思っている。ギターのパート(部分)だけを考える人達とは対照的に、全てのパートを考える傾向がある。

皆が知ってるように、彼は曲も書いていた。作曲家はとかくそんな風に考える傾向があるのさ。でも、多くの作曲家は楽器を演奏するスキルは持ち合わせていない。だから、彼は全てをまとめることができた。今生きていて、この質問をされたら、ギタープレイヤーとは対照的に、自分は音楽のクリエイター(創造者)と答えたと思うな。

その意見に賛同します。本当に鋭い洞察ですね。プリンスがいつ、どうやってLM-1を買ったかご存知 ですか?プリンスのファン・フォーラムで読んだのですが、プリンスは実際には2台持っていたと書い てありました。本当かどうかはわかりませんが。

うーん、それについては疑わしいな。わからないよ。私の会社から直接買ったとは思わない。ディーラーから1台買ったんじゃないかな。当時、私の会社はかなり混沌としていた。私は24、25歳くらいで、多分彼は私の会社のセールスマンから買ったんじゃないかな。わからないよ。実際、言うのは難しいな。たぶん代理店ディーラーから買ったんだと思うよ。そうでなければ、会社のスタッフから聞いていたはずだから。

想像できますね。あなたは一度もプリンスと会ったことがないとおっしゃいました。ファースト・アヴェニューやペイズリーパーク、ミネソタに行ったことはありますか?

何年も前にミネソタへ行ったと思う。ツアーギタリストとしてだが、それ以外で行ったことはないと思うな。実際どうだろう。何かあったとすれば、80年代だろう。ずいぶん昔だね。

まとめに入ります。あなたがおっしゃっていたように、LM-1ドラムコンピュータはまだペイズリーパークにあります。私は数ヵ月前に見学したのですが、ツアーガイドは「When Doves Cry」の冒頭のノッキング音について話していました。ガイドはプリンスが毎日どのように製品を使っていたかを簡単に説明していました。 あなたの楽器がプリンスのレガシー(功績)に密接に関わっていることについて、どう思いますか?

素晴らしいことだと思うね。彼は製品の偉大な支持者だった。まだ生きていれば、会うことができたんだが。過去に数回トライしたんだよ。彼のローディー(コンサートの設営スタッフ)を通じて、それから一度は彼のマネージャーを通じて、連絡したんだ。でも返事はなかった。当時は他のことで忙しかったんじゃないかな。

だが、私は「チャーリー・ローズ・ショー」のインタビューで彼を見たことがあるんだが、非常に興味深い人物だと思った。考え方がね。そしてとても落ち着いていた。非常に密に考えて話すように見えたから、会話をしたらとても面白い人物だったと思うよ。

私の理解するところによると、記事に書いてあったんだが、悪いドラッグか何かを飲んだということだ った。残念だね。彼自身が燃え尽きたわけではなかった、ということがあり得る偶然の出来事だね。とても不運な事故であり、偶然の出来事だった。こんなことが起きたのは悲しいね。誰もが長く生きて、生を全うして欲しいから。でも、再び ― 表現は何だったかな? 

 "The candle that burns twice as bright burns half as long."
  他のものより2倍明るく輝くロウソクは  ずっと早く燃え尽きる
、だね。
  
  ※ 注)映画『ブレード・ランナー』からの引用

彼は遊び心のある人物でした。直接会ったことはありませんが、数回演奏するのを見ました。彼についてとても多くの話を聞いてきました。とても話し上手で、そして、もちろん信じられないほど素晴らしいミュージシャンでした。一般大衆や物事をからかう、ユーモアのセンスも楽しかったです。

何回か連絡をとった時、彼にAdrenaLinn pedalをあげようとしたんだ。自分もギターリストだから、彼が喜ぶだろうと思ってね。でも、返事はなかった。

インタビューを終える前に、何か私が聞き忘れたことはあるでしょうか?

残念なのは、彼が最新モデルのLinnstrument を演奏することができなかったことだね。彼は音楽に表現を加えようとしていたからね。そうすることを重視していたから。

今の音楽シーンで起こっている問題の一つは、誰でもon、offのスイッチ一つで音楽を演奏できることだ。標準的な電子キーボードはon、offのスイッチばかりだ。その結果、以前のギターや初期の音楽に見られる形態、つまり
ヴァイオリン、チェロ、サキソフォーン、その他の楽器演奏で見られる表現力が失われているように思う。もちろん、プリンスはギターや歌の表現力に優れていた。表現力が、音楽にとっては素晴らしい要素だと思う。

ポップスのレコードが完全に電子的に作られて以来、楽器のソロ演奏がなくなってしまったことを嘆かわしく思う。私はもう一度それが見たい。彼なら、Linnstrumentを自分のビジョンと組み合わせて使うことで、新しいタイプの電子合成の楽器ソロ演奏が入ったレコードを作れたと思う。新世代の総合的なミュージシャンを開拓するようなレコードをね。そんなビジョンを持つ人間はほとんどいない。彼が亡くなってしまったのは悲しいことだ。それが実現するチャンスはないんだから。


ペイズリーパーク、スタジオA
ミキシング・コンソールの前、この椅子に座っているプリンスの姿を確かに見た!(対話してきた)
後ろにLM-1ありますね。キャンドルがのっかってる。

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#PaisleyParkArchives: Exhibition Series Today we feature Studio A, the center of Prince's recording universe and primary workspace from 1987-2016. Studio A was the site of many notable albums, such as Batman, Diamonds and Pearls, The Gold Experience, Prince’s 2015 release: Hit n Run Phase Two, and many others. The very first album to be recorded in Studio A, however, was Lovesexy. It was recorded in 1988 while the studio was still being modified. Other famous artists who utilized Studio A over the years include Celine Dion, R.E.M., Stevie Wonder, James Brown, Madonna, and Aretha Franklin, just to name a few. Studio A was also a space where Prince would invite proteges, from Sheila E. to Judith Hill to dream up new sounds and work on various recording projects together. When you visit Paisley Park on a tour, you will also see Studio A’s enormous live room and additional isolation spaces - all of which contribute to a world class studio steeped in extraordinary creative history. #Prince #PaisleyPark #ExhibitionSeries

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(ご参考まで)

・「LM-1 Drum Machine Top 10
 〜 Wax Poetics Japan   
説明がわかりやすく、プリンスのコメントも紹介されています。
 他にも「リンドラム プリンス」で検索すると、いろんな方がブログで書いていらっしゃいます。

・ロジャー・リン・デザインHP

     http://www.rogerlinndesign.com

・「ギターマガジン 2016年7月号 プリンス 殿下のギター愛より一部引用

大きく変わったのが、1982年のアルバム「1999」から。当時はまだ珍しかったリズムマシンを全編に渡って大胆に導入する。この頃はリズムマシンと言えばアナログ・シンセサイザーで合成したチープな音色で、生ドラムとはかけ離れた音だった。
しかし、1980年に生ドラムをサンプリング(デジタル録音したものを鳴らして演奏する手法)したリズムマシン、LINN LM-1が登場。これを使うことにより、生っぽい音でありながら複数のマイクを立てることによるマイクのカブリがなく、ドラム・キットの各楽器がソリッドに聴こえるサウンドを作ることができたのだ。